現在、私は26歳の社会人です。
両親からの愛情といっても、なかなかその時に感じている方は少ないのではないでしょうか。
私もその一人です。
今回は私の経験をもとに、両親から受け取った愛情を思い返し、まとめていきたいと思います。
3人の流産を経験、初めての子供
私は、香川県の田舎で生まれました。
母親は私の前に3人の子供を授かっていましたが、全員流産で生まれず、初めての子供が私でした。
夜のミルクを飲み終わると、ベッドから哺乳瓶を投げ捨てるようなやんちゃな子供だったみたいです。
幼少期も非常に活発で、いたずら好き、幼稚園の先生には何度も怒られる子供でした。
虚弱体質な自分
ただそんな活発な私ですが、実はかなりの虚弱体質で生まれてきました。
小児喘息・小児アトピーなどアレルギー性のものは1歳の頃からだったようです。
一番大きな病気は、3歳になった頃でした。
急に体が黄色くなり、救急で診てもらったところ「黄疸」という肝臓の病気にかかってしまいました。
なんと入院期間は6ヵ月です。
毎日のように両親は病院に来ており、お互いが有給休暇を取りながら寝泊まりしていたと聞きました。
当時は気づいていませんでしたが、自分も社会人となり仕事を始めてから分かるのは、かなりハードな生活をさせてしまっていたなと感じてます。
中学時代
私が中学生に上がると、毎週末は部活の遠征や合宿に付き合い、休み返上で私の為に動いてくれていました。
どんなに家計が厳しくても、部活動にかかるお金や日々の食事の質を削らず、母親の洋服や父親のお小遣いを削って私に充ててくれました。
その頃は、私の家庭は裕福な家庭だと勘違いしていました。
高校時代
高校はスポーツ推薦で東京の高校に進学が決まり、家族で父親の実家である千葉に住むことになります。
片道2時間30分の通学時間で強豪校に通っていましたが、その頃は両親が私の為に動いてくれているのが当たり前のような錯覚をしてしまっていました。
「これだけ頑張っているんだから、応援してよね!」
そんな気持ちで生活を送っていました。
朝は朝練習がある為、始発の4時30分の電車に乗り込み、夜は個人の居残り練習があったので翌1時に帰ってくるような生活です。
そんな生活にもかかわらず、朝起きると母親は朝食の準備をしており、夜は駅まで父親が迎えに来てくれていました。
今思えば、私自身に子供が手来たらこんな風にできるのかと考えてしまいます。
大学時代
大学に上がり、一人暮らしを始めた時も毎月のように仕送りを送ってくれていました。
そんな時、驚きの事実が発覚したのです。
私の祖父は幼いころに亡くなっていますが、その祖父が残した借金が1億円近くあったみたいで、毎月毎月かなりの金額を返済していたのです。
金銭的に余裕があるから何をやっても応援してくれると思っていた分、衝撃の事実でした。
母親の洋服はいつも一緒で、父親は会社の飲み会などにはほとんど出席せず、家で安いペットボトルの焼酎を飲んでいたことに今更気づきました。
これから私が出来ること
私は大学生の頃に祖父の借金という事実を知ったことによって両親への感謝の思いが大きく芽生えました。
もしかすると、みなさんのご両親にもそれぞれの事情があるかもしれませんが、その事情をみなさんは知らないだけかも知りません。
親からすると愛情という形で子供に気付かせないように子育てをしているのかもしれませんね。
そんな私に今できることは、今までもらってきた両親からの愛情を「親孝行」として返していくことです。
小学校や中学校、高校に通っている時は親にしてもらうのは当たり前の感覚でした。
もしかしたらそれに気づかないのが普通なのかもしれません。
そうなのであれば、今からは親孝行を当たり前にやっていくことが私にできることです。
親からの愛情はいつも目に見えるものだけではありません。
離れて暮らしている方、近くに居てもあまり話さない方は、少しでも両親と話して親孝行をしてみてはいかがでしょうか。
著者:Asuna
性別:男性
年齢:26歳
現職はファイナンシャルプランナーとして活動しており、多くのお客様のライフスタイルに合わせて「ライフプランニング」をご提案させていただいております。