母と私は小さいころから不仲でした。理由は、母の家庭での飲酒です。
私は母と若いときに死別してしまいましたが、ずっと後悔をして生きています。
今回はそんな私の経験をもとに、今お母さんと不仲な方に向けて私だから分かることをご紹介したいと思います。
私のお母さん
私の母は昼からずっと酒を飲んでいました。
そんな調子だから、幼い私がおなかをすかせていても食事がないなんてことはよくありました。
父が帰宅して、母と長い夫婦喧嘩をした後に、父が私に食事を作ってくれました。
そんな父は怒りを我慢しているためか、「食ったら寝ろ」という投げやりなことをいつも言っていました。
そんな家庭でしたから、私は母が嫌いで、自分は母に愛されていないという感覚がありました。
授業参観のときも、母は酔っ払ってきて、学校でのちょっとした有名人でした。化粧もしないで汚い格好で来る母が嫌でたまりませんでした。
関係はさらに悪化して…
高校受験を控えた中学3年生のころ、家庭環境を大きく変えてしまうある事件が起きました。
それは、親戚から突然もたらされました。「父さん、浮気しているってよ?」という情報です。
母は、日頃酔っ払っていましたが、父のことは好きだったようです。
それを聞いても信じていませんでしたが、追い討ちをかけるように親戚は興信所を使って父の噂の真相を暴いてしまいました。
母はそれを機にやんでしまい、お酒も飲めなくなり、精神科の薬に頼るようなりました。その内に入退院を繰り返して一緒に生活をせずに、親戚の家に暮らしていました。
しかし、内臓は丈夫だったようで、精神以外は元気とのことでした。
たまに顔を観にいきましたが、多弁だった母の面影はなく、寡黙に黙って、目に涙をためていました。
思春期だった私は母のことが益々嫌いになってしまいました。
他の家庭のお母さんと比べて、ただただ羨ましく思っていました。若くてはつらつとした母親と出かける同じ年ぐらいの子の姿をみてはまぶしく感じていました。
後悔してもすでに遅かった
19歳になるまでそんな日常を過ごしていましたが、その日は突然やってきました。
冬のある日、母が朝の日課の散歩に出たっきり行方不明になったと連絡が来ました。
そしてまもなく、道路上で倒れているところを見つけた人が通報してくれて、病院に運ばれたと連絡がありました。
病院に駆けつけると、母はもう死んでいました。ブルーシートにくるまれていました。ショックすぎてよく分かりませんでした。
母のことはあんなに嫌いでしたが、亡くなってみるとまるで自分の半身を削られたような非常に空っぽな間隔に見舞われました。
半年立ち直れませんでした。
そして母を嫌っていたことをひたすら後悔しました。
もっと大事にしてあげたらよかったのにという思いでした。
お母さんとの関係が良好でない方に伝えたいこと
それから月日が流れ、私も母になり、子育てをするようになったときに母へ思いをよくはせます。
愛していないならば、産めないし、育てられないということもよく分かりました。
母は心が弱い人で、お酒に逃げてしまったこともこの年になってわかりました。
そして、この年になった私を見てほしかったという思いもあります。今であればきっと母を支えて上げられただろうとも考えます。
だから今、自分のお母さんが生きている人で、関係性が良好でない方に言いたいことは、急に接し方を変えなくてもいいので、少しだけ接する時間を増やして欲しいということです。
後悔しても取り返せないことって本当にあるんです。
著者:たろわ
性別:女性
年齢:39歳
2人の子育て中の母です。
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