私は一人娘なのですが、厳格な父に育てられました。
しかし、残念ながらその育て方は私にとって良い影響はもたらしてくれませんでした。
今回は、厳格な父に育てられ、自分自身を取り戻すまでの私の体験談をご紹介していきたいと思います。
顔色を気にする性格に
厳格な父からは娘らしく育ててはもらえませんでした。
思春期に髪を伸ばし始めた私の顔を見ては、「似合わない。」と言って、短く切らされたり、男の子に泣かされた小学校低学年の頃には、女子なのに、「男に泣かされるな。」と言って、理不尽にもビンタをされたりしました。
そんな風に押さえつけられて育ったせいで、学生時代や社会の中で、人の顔色を伺って、言動や行動を左右されるようになっていきました。
感情が表に出なくてなってしまい、何を考えているのかわからないような、そんな印象を持たれる人になってしまい、長い間苦しみました。
社会の全ての人が親に見え、オドオドと振る舞っていた日々、
「はい。」
とただ一言 返事をするだけのロボットと化し、コミュニケーションが取れず苦しみました。
他人は他人、自分は自分
20代前半の時、交通事故て亡くなった人の死に直面したことがあり、それは、私の脳に衝撃を与えました。
いつしか、「どうせ死ぬんだから。」ということが口癖になりました。
人は簡単に死んでしまうことを目の当たりにして、父から気難しさを植え付けられてきた性格が、徐々にその鎖から解かれて行く感覚を感じました。
20代前半に人の死と直面してから、月日は流れ、30代半ばには、完全に鎖が解き放たれていました。
人から向けられる視線は、好意があるからだと調子よく考えたり、社会の中で低評価をもらう事に見舞われても、自分は自分と、自分を信じました。
好きに生きることが出来るようになってきた
長く苦しんだ親からのコントロールではありましたが、人生の半分近く生きたこれからは、他人に迷惑をかけずをモットーに、好きにして生きるようにしています。
よく笑い、よくはしゃぎ、沢山食べ、のびのびと羽根を広げるつもりで沢山を見聞きし、沢山の人と交流をしたいと思います。
どうせ死ぬのだから、人に害を及ぼさなければ、好きにしたっていいでしょう、という気持ちです。
仕事も伸び伸びと、足を止めず、どんどん進んで行くようにしています。
親となった今、課題も
厳格な育ちは連鎖し、今後は課題と向き合うことになりました。
間もなく思春期を迎える子供との接し方に、注意が必要なことです。
奇しくも親と同じ口癖を引き継いだ言動があります。
「誰が育ててると思ってるんだ。」
子供との喧嘩で、自然と出てしまう始末です。
子供はただ産まれてきて自然と発育して行く中で、自然と起きる感情の変化に、勝手に恩着せがましい暴言を吐いてしまう私。
しかし嘆いている場合ではありません。引き継がれた脳のコントロールに悲観はしません。
暴言を吐いてしまったら、そのあとのフォローに十分時間を費やせばいいのです。
また、このような理不尽な発言をする私の生い立ちを、子供だけでなく、夫にも話して聞かせ、理解を得て、また家族に支えられながら、尚且つ喧嘩なりぶつかり合って、前進して行く術とします。
厳格な父と同じやり方はしません。
家族と沢山 話し、皆が ペチャクチャ ガヤガヤ と、賑やかな家庭を築きます。
話して、聞いて、皆で心を つなぎ合って、人生を歩んで行きたいと思います。
親が全て悪いわけではない
子供にとって父と母は一人ずつしかおらず、親の育て方というのは子供にとって一生を左右するものだと思います。
私にとって、私の親の育児の仕方というのは残念ながらプラスには働きませんでしたが、プラスに働く家庭はたくさんあるのだと思います。
全てが親のせいというわけではなく、たまたま自分の性格と両親の育て方がうまく合わなかったということもあるのではないでしょうか。
ただ、そればかりを責めても仕方がなく、前を向いて自分と向き合いながら生きていかなければなりませんね。
著者:バード
性別:女性
年齢:40歳
厳格な父と、物事にルーズな母とに挟まれて育った一人娘です。