遠くの親戚より近くの他人!人生を通して学んだ経験を語る

私は四人兄弟の四人目として生まれ小学生の時、施設に預けられました。

未だにその理由は分かっていませんが、おそらく金銭面が原因だと思います。

 

私は自分の人生から「遠くの親戚より近くの他人」ということわざを身をもって学ぶ経験をしました。

この記事では、少し暗い話となってしまいますが私の半生をご紹介したいと思います

私にとっての「家」と「家族」

家族が施設に尋ねてくる事は殆どありませんでした。

しかし、それでもそれなりに楽しく過ごした幼少期だったと思います。

 

高校生になると同時に「自宅」なる家に帰りましたが、すぐ上の姉には随分と苛められました。父親に言われた言葉で一番記憶に残っているのは「自分で育てていないからか、どうもお前の事は大切と思えない」です。

別段、悲しいとは思いませんでした。私も父親を恋しいと思った事は一度もありませんでしたから。

 

私に一番優しかったのは母親です。しかしながら皮肉なもので、その母がいち早く亡くなりました。

社会に出るも家族に搾取される日々を送る

家族に頼るという概念を持たなかった私は高校を卒業をすると寮のある水産会社に入社。自分の生活は自分で賄ってゆくのが当たり前で、とにかくお金を貯めようと仕事に励んだのですが、毎月月末になると、すぐ上の姉が寮に尋ねてくるのです。「今月、ちょっと生活費が足りなくて」と幾らかでも渡すまで帰ってくれません。やがて姉の生活費の一部を私が負担するのが当たり前になりました。

 

続いて訪れるようになったのは一番上の兄です。父親の体調が芳しくないので入院させた。一番若いお前が面倒を見るのが当然だ、というのが兄の言い分でした。昼間は仕事をし、夕方と休日は病院に通いました。帰りがけに「明日は、あれを買ってきてくれ」「これが欲しい」と父からリクエストされるのですが、お金を渡された事はありません。

 

就職して1年。貯金は1円もなく、買いたい服も買えず、私の給料は姉の生活費と父の雑費で粗方消えてなくなりました。
それでも自分が働けているうちは一定の収入がありますので良かったのです。しかし、その収入がいきなりゼロ円になったのは就職して3年後でした。勤めていた会社が何の前触れもなく倒産したのです。

救ってくれたのは「遠くの親戚ではなく近くの他人」だった

途方に暮れていたところ、救ってくれたのは子供の頃に入っていた施設の先生でした。間借りできる友人宅を紹介してくれたのです。

 

そのご友人が天女のような人で、貯金もなく仕事もなくなった私に無償で三食を食べさせてくれました。更に友人の飲食店で働いては?とアルバイトまで紹介してくれました。

会社勤めの頃に比べたら収入は減りましたが、安心して帰ることの出来る家があり、まして、ここにまで姉や兄が押しかけてくる事もない、少し大袈裟に言えば私にとっての聖域でした。

 

もう数十年、家族には会っていません。でも毎日心穏やかで落ち着いた日々を送っています。血のつながりのない赤の他人に随分と助けられました。
産んで頂いた事には感謝しています。けれど、一旦この世に放り出されれば「遠くの親戚より近くに他人」、と最近つくづく思います。

著者:なおみ

性別:女性

年齢:49歳

アラフィフ、残念ながら未だ独身です。

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