普通の母と娘の関係になりたい私。距離が近づかない葛藤を語る

これは私と母の話です。

中学生の頃から、私は母が大嫌いでした。いつからかはわからないけれど、高学年の頃にはすでに違和感を覚えていたと思います。
決して叩かれていた、とか、ごはんを与えてもらえなかった、ということはありませんでした。
身の回りの世話もしてもらってたし、習い事もたくさんさせてもらってた。
それなのに大嫌いだったのです。

 

この記事ではそんな私の、普通の母と娘になりたいが決してなれない葛藤をお話ししたいと思います。

自分の母親と、周りの母親の違い

母親は一人しかいないし、そういうものだと思って生きてきたけど、どうやらそうではないと気付きはじめたのは高校生の頃。
友達のお弁当は色とりどりで、かわいくて、おかずもたくさん入ってて。
お母さんからその友達への愛情があふれて見えました。

 

一方私のお弁当はおかずも一種類か二種類、茶色だらけで恥ずかしくて、次第に自分で作るようになっていました。

 

母は、私の話を聴いてくれることはありませんでした。
私が「こう思う」といえば「でも」。「今日は疲れた」といえば「お母さんのほうが疲れてる」。
とにかく否定され一度も「そうだね」と言ってもらったことがありません。
共感してもらったことがないのです。
さらに過干渉気味であれをしなさいこれをしなさいと指示がくるのです。
苦しくて、いつも自分の部屋にこもっていました。

 

母の日に贈ったプレゼント、趣味じゃないからあなたが使ったらと返されたこともありました。

結婚をして家を出るまで関係は平行線を辿る

いつからか、母には本心を話せなくなりました。話さなくなった、というほうがしっくりくるのかな。
話をしても否定されて、その上母のグチが始まるからそれがしんどくてしんどくて、自分を守るために母には本音を言わなくなりました。
中学生の反抗期がひどかったとき、母に「お母さんともし同級生だったとしても、絶対に友達になんかならない」と言ったこともあります。
その母への反抗は、私が結婚して家を出る頃も続きました。

 

結婚して実家を離れる、普通なら親と離れてさみしくて泣いてしまう花嫁さんも多いでしょう。
しかし私は一日でも早く家を出たい、そればかりでした。
結婚式で読む予定だった花嫁の手紙も、結局なにを書いていいのかわからず、式の前日にざっと書いて終了。
母には「まだ書いてないの?遅いわね」と言われました。

 

結婚と同時に夫の住む県外に行き、のびのびと息ができたような心地になったのを覚えています。
晴れやかな気持ちでした。それくらい私にとって実家が、母が窮屈だったのです。

母と打ち解けたい気持ちは消えない

夫と結婚して夫の母も私のもう一人の母になりました。
とても穏やかで、私の話を聴いてくれて、そうだね大変だったねと私が欲しかった言葉をくれる優しい義母です。
あぁ、これが世間では普通なのかな、話してて安心する感じ、と夫が羨ましく思うと同時に、私が絶対手に入れることができない母親なんだ、と悲しくもありました。

 

自分の母親はこういう人だから、と割り切ろうと思っても、母に会うたびに悲しくなり苛立つのです。
私も未だ割り切れておらず、いまだに母に期待しては裏切られてるのでしょう。何度も。何度も。
母は60代後半で、この年になればもうこの先性格が変わることはないのに、まだ期待してしまう私は馬鹿でしょうか。
母にただ「そうだね」と言ってもらいたい。ただ何も言わず認めてもらいたい。36歳になってもかすかな希望を捨てきれてない。
母の話を書いたりするたびに涙が出そうになってあふれそうになります。

 

母親とは、子供にとってはいつまでも母親、なんですね。
追い求めてしまうもの。
今は私にも子供がいます。子供たちにとって、私は私が求めている母親になれるでしょうか。

著者:ミジンコ

性別:女性

年齢:36歳

小学生と幼稚園児二人の子供がいます。子供が寝たあとに甘いものをたべすぎて、一年で4キロ太りました。そろそろダイエットしなきゃ…と思いつつ重い腰が上がらない毎日です。

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