同性愛者の告白と養子の事実を受け止めた私が考える家族とは

同性愛者,養子

よく家族の定義について考えさせられることがあります。

もちろん辞書を引いて出てくるような意味合いではなく、自分の人生において家族とは何なのか?そう考えさせられてしまうのは自分の生い立ちに原因があると思います。

幼い頃の私は祖母と過ごすことがほとんどでした。両親が共働きだったので仕方がありませんでした。寂しいなと感じたのは幼稚園くらいまでで小学生くらいには仕方ないと思っていました。決して交流が無いわけではないですし、むしろ一生懸命働いている両親が誇らしくもありました。

両親のことを思うと様々な記憶が蘇ります。
例えば母が急病で倒れ、父が夕飯をつくならなければなった時です。料理が苦手な父は、でかいステーキを買ってきて食べさせてくれました。いつも主菜や副菜など様々なものが並ぶ我が家の食卓と比較すると、ステーキだけというのは違和感がありましたが、それでも不器用ながら食事を取らせてくれたことに今でも感謝しています。
母も素晴らしい人間です。私は小児ぜんそくで一年に一度は発作で入院していました。入院までいかなくても発作はしょっちゅうでした。そのたびに病院に行くのですが、過疎化が進行し続ける田舎町で生まれた私は、病院まで片道一時間かかるんです。仕事で疲れているはずなのに、通院や入院のたびに車を飛ばしてくれました。
祖父母は自分たちが入った後のお風呂に何の抵抗もなく入ってくれてありがとう、と言っていました。なんでそんなことを気にするのか幼い私にはわかりませんでしたが、近所の上級生が年寄りは汚いと自分たちが入った風呂に入らないんだそうです。そんなことを気にしていたのか・・・と心を痛め、逆に何も言わないようにしました。

とても幸せな、どこにであるうような、いやどんな家族よりも愛に溢れた家族だとずっと思っていました。

それを壊してしまったのは私です。高校一年生で私は同性愛者であることをカミングアウトしました。それほど重くとらえられず思春期の一過性のものだと思われました。
そして翌年です。両親、特に母にきっかけがあり、自分と妹が養子である事を知りました。家族がリビングに揃い戸籍謄本を見た記憶は今でも鮮明に覚えています。
妹は突発的に泣きじゃくりましたが、私はじわじわ悲しみが押し寄せてきて、高校時代はほぼ反抗期でした。
無理矢理上京し、また同性愛者の件で揉めて2年間家出もしました。

その後は仲違いしたり、笑い合ったりと色んな思い出があります。

自分たちの子供じゃないから、他の親よりも親らしかったのかもしれません。
でも仮に自分の子供だとしてもあれほど愛に溢れた育て方は出来ないでしょう。

家族とは何か?
それは血の繋がりでもなく、一緒に住んでいる人でもなく、どんなことがあっても断ち切れない絆で結ばれている人たちだと今の私は考えます。

著者:makoto

性別:男性

年齢:34歳

私はカミングアウト済みの同性愛者です。たくさん笑い、それに伴いたくさん泣いた人生を歩んできました。でもとても幸せでした。だから今は自分お幸せは二次で他者の幸せにも目を向ける努力をしています

みんなのコメント

まだコメントがありません。
是非、あなたの意見や体験談などを教えてください!


コメントはfamico編集部の承認後に表示されます。常識のあるコメントを心がけ、攻撃的な表現や誰かが傷つく発言は避けましょう。なお、コメント投稿時に「利用規約」に同意したとみなします。