自分の子は特別で何がいけない?主観こそ育児の本質である!

自分の子は特別

育児には、経験してみないと分からないことが沢山あります。

他人の子供のお世話をするのと、自分の子どもを育てるのとは、全く違うことは、育児をしてみて初めて分かることです。

さて、一体何が違うのでしょうか。

自分の子は「特別」

それは、我が子の場合、育児に主観が入ることです。

他人の子供の場合には、客観的に見られることも、我が子の事となれば、ヒステリックになったり、怒ったり、また、嬉しかったりと、喜怒哀楽が増幅されます。親バカから発している熱心さが、育児というものなのでしょう。

そのような育児において、勿論親バカですから、我が子が特別な存在に見えてしまいます。親バカですから、色眼鏡で見てしまいます。我が子に期待をかけ、他の子供とは違う特別な存在であるという錯覚に陥ります。このような調子ですから、無駄な投資も沢山してしまいます。

子供にすれば迷惑な話ですが、心優しい子供は親の顔を立て、一生懸命親の期待に応えようと努力します。大体この辺りから、親子の関係は破綻をきたします。

子供にしたら頑張っているものの、所詮、親バカの主観的な育児は子供が大きく成長するにつれ、その理想と現実のギャップに次第に押し潰されてしまいます。やがて子供は思春期を迎え親から自立、自分の道を歩こうと始めます。親に反発、葛藤、ついに、一人立ちをするのです。

親はやっと夢から覚め、現実に生きることを余儀なくされます。子供に注ぎ続けられたエネルギーは滞り、子どもを初めて一人の人間として捉えることが出来るようになるのです。否、客観的に子どもを見て、一歩離れた見方をする他なくなります。

「主観」こそ育児の本質

では、このような育児は、無駄だったのでしょうか。自問自答してみます。否、無駄なことは、ひとつもありません。

我が子どもを産み、育て、膨大なるエネルギーを注ぎ続け、我が子に理想を押し付けと、今思えば無我夢中の年月であったことは、無意味ではなかったと思います。

長い年月一人の子どもに、これだけ真剣に関わり続けられたのは、親であったからのひとことです。真剣に向き合い、真剣に対峙し、関わることは、親だから出来たことではなかろうかと思います。

紆余曲折は有りましたが、親子で真剣に生きて、互いの人生に関わりあったことは、誰にも真似できないくらい凄いことをしたのだと、胸をはれると思います。

さいごに

以上は、我が育児体験談です。

一般的に、親は、多かれ少なかれ、このような体験をするのではないでしょうか?

育児人生を振り返り、無駄はひとつもなかった、育児に費やした全ての時間が、人生そのものだったと、今は、確信致します。

著者:えいちゃん

性別:女性

年齢:59歳

普通の主婦ですが、前向きに生きたいです。