後天性の発病に苦悩していた私を救った友人の言葉とは

友人の言葉

私は「脊髄性筋萎縮症」という難病を抱えている50代の男性です。
この病は、遺伝子の変異から運動神経に障害を引き起こすもので、筋肉が徐々に脂肪に変わり、筋力低下により重力に負けてしまい腕を上げることも歩行困難になります。

発症する時期で名前が異なり、急性乳児型SMA(0〜6ヶ月発症)、慢性小児型SMA(1歳6ヶ月)、若年型SMA(1歳6ヶ月〜20歳)、成人型SMA(20歳〜)となっています。
病の進行速度にも個人差があって、私の場合は、成人型SMAで病の進行速度が極めて遅いことから発症年齢の特定が難しいとの事です。

難病の診断を受けて

自分の記憶をたどってみると、30歳頃から階段や段差の昇降時に異変を感じていましたが、初めて病院を訪れたのは37歳になってからのことです。
それまでは、元々若い頃からスポーツ万能で若さゆえ体に異常を感じていても、その日その日を乗り切っていました。
階段や段差の辛さも、ただ「体力の衰え」程度に考えて病気と思わなかったのです。

様々な検査を受けた結果、上記の病名を告げられ治療法が無い「難病」だということを受け入れるのに時間が掛かりました。
その後、2年余り通院していましたが、問診とリハビリだけで薬も無ければ改善策も無い状況に対し、自分自身に「諦め」という言葉が頭にこびりつき始めました。
「子供が小さく、まだまだ一線で働かなくてはいけない」という気持ちで自分勝手な考えで通院を打ち切りにしてしまったのです。

病状は悪化し、病気と向き合う事に

その後、さらに数年の月日が過ぎ去り、当然病状は悪化しているのは当たり前で、坂道も登れず、いよいよ歩くことさえ苦痛に思えてからのことでした。
再び病院を訪れましたが、初診で担当になった医師は不在、新たに担当になった医師にこれまでの経緯を説明し、改めて検査を受けることになりました。

結果は、当然初診と同じ病名を告げられました。
しかし「医療は日々進歩している」という期待は持ちましたが、やはり「難病」ということには変わりはなかったのです。
幸い、進行が極めてゆっくりでしたが、3年前・5年前と比べてみると「そういえば、あれくらいは出来ていたな」と変化がわかり、現在は杖の助けを得て生活をしています。

「健常者」から「障がい者」へ

医師の勧めもあり、診断結果が出ると同時に「障がい者手帳」所得の申請しました。

「障がい者」という、自分の身に関わることが無いと思っていた呼び名が、突然として私の写真付きで手帳が出来上がるなんて誰が想像することが出来たでしょうか。

障がい者への支援をする側から支援を受ける側になった生活環境は一変しました。
行動範囲が狭まり、電車内では席を譲る側から譲られる側へ、また日常生活も入浴や着替えも家族の手助けを必要となった自分が情けなくなっていきました。

絶望の中「同窓会」の知らせが届く

そんな先々の絶望感と不安が入り混じる毎日を送っている中、数十年ぶりの「同窓会」の連絡が来ました。

当然、欠席に○を付け返送しましたが、家族は「気にしないで出席すれば?杖で動けるうちに友達に逢えばいいし、車椅子になったら難しいよ。」と言ってくれました。
しかし、私としては、学生時代「スポーツマン」としての私を知っている友人達に「杖をついた自分」を見せたくないという気持ちが大きかったのです。

こんなやり取りをしている中、幹事である女子の友人から電話連絡が届き「何とか出席できないか」という事です。
理由を濁らし断りましたが、本当の理由を言おうと「難病になってしまい…」と説明しました。
彼女は「そんなことで恥ずかしがってると、何処にも行けないでしょ。重度の人でも積極的に外へ出ているよ。皆、あなたに会いたいと思っているよ。」と胸に刺さる一言です。

勇気を出し、いざ同窓会へ!

勇気付けられた私は、杖をついて出席し、予想通り皆が私に注目し、予想に反し、誰も「どうしたのか?」としつこく聞いて来なく、昔のように駆け寄ってくれました。
電話で励ましてくれた友人も、すぐさま駆け寄り「来てくれて有難う。」と言葉を貰いましたが、「感謝するのは私の方だよ。」とグラスを合わせました。

後に聞いた話では、彼女の職業は看護師とのことで、情けない考えを持つ私に業を煮やし、叱る言葉が私を救ってくれました。
それ以降、今では趣味である「温泉巡り」にも、昔と変わらず家族と出かけています。

最後に

後天性の発病だからこそ、戸惑いと絶望感・不安など等、様々な思いが交差し苦痛が数十倍〜数百倍となって圧し掛かってきます。
今まで何も不自由なく当たり前のように生活していることに感謝を忘れ、体が思うように動かなくなって初めて当たり前の生活に感謝を想い直します。

しかし、元気な時ばかり懐かしがっていても、先には進まないので自分を見つめ直し病と上手に付き合い「全てのことにチャレンジする」ことを考えることにしています。
「まだまだ、これからが人生だ」の言葉を励みに頑張ります。

著者:ハートフル

性別:男性

年齢:50代

関西在住、一人暮らしの在宅ワーカーです。

みんなのコメント

まだコメントがありません。
是非、あなたの意見や体験談などを教えてください!


コメントはfamico編集部の承認後に表示されます。常識のあるコメントを心がけ、攻撃的な表現や誰かが傷つく発言は避けましょう。なお、コメント投稿時に「利用規約」に同意したとみなします。