生きているだけで感謝。2度の流産を乗り越えた母が思う事

流産,乗り越えた

当時の私は結婚をして妊娠をすれば、すぐに赤ちゃんが元気で産まれてくれるものだと思っていました。だから結婚しても3年くらいはしっかり働いて子供のことは考えることもありませんでした。

だんだん周りに出産を迎える友達や同僚が増えてくると、私もぼちぼち赤ちゃんが欲しいなあ、と思うようになりすぐに妊娠。妊娠が分かったときはとてもうれしくて、後は勝手にと言いますか普通にしていれば赤ちゃんに会えると思っていました。

 

ところが定期検診に行くと、赤ちゃんの心音が止まっているとお医者様に言われ流産でした。

手術のために産婦人科に入院したのですが、手術の前日から入院していると産婦人科なので無事元気に産まれてきたよその赤ちゃんの泣き声が聞こえてきて、家族が赤ちゃんを見に来て話している声が聞こえます。これは、とても悲しかった記憶があります。次に産婦人科に入院するのは私も赤ちゃんを出産のためにしよう!と悲しみの中思いました。

 

ところが、2回目の妊娠も流産。3回目の妊娠期間は、ほとんどを入院して過ごしてやっと今二十歳を過ぎた長男が生まれました。

待ち望んで待ち望んでやっと授かったのは男の子でした。初めておむつを替えた時、初めてお乳を含ませたときの嬉しさは忘れられません。初めての子で、何をするのも最初は夫と2人でおっかなびっくりしながら大切に大切に育ててきました。

 

誰に似たのかとても優しい子で、お外遊びが大好きで元気いっぱいの幼少時代を過ごし、小学校に上がると誰に似たのか頭の回転が良く賢い子で何でも興味を持ってまたやっぱり元気いっぱいの子で過ごしました。

中学校に上がると吹奏楽部に入り楽器も一生懸命頑張って高校は音楽高校に進み音大を目指して楽器を極めるとキラキラ輝いて私にとって希望の星のようでした。

 

息子は目標を叶えるために音楽科のある高校へ進みました。そして高校2年生に上がってすぐ、息子は心の病気になりました。高校から病院搬送の連絡があったときの動揺と震え、息子の大きな傷を見た時のショック。今も目に焼き付き消えることはありません。

パニックになった私はとにかく病院へと近くにあった心療内科へ。いきなりの薬漬けです。怖くて悔しくて助けたくて必死でセカンドオピニオンを探しました。

 

大きな病院は紹介状がないとことごとく断られやっと見つけた先へ転院しましたが状態は重く入院。退院してしばらくは小康状態でしたがまた入院。

腫れ物に扱うようにしては駄目だと思ってもどこかで今までとは違う、思ったことを口にできない遠慮が今もってあります。

 

なんのために生きるのか?などと息子の口から聞くたびに胸が苦しくなります。だけど、今、生きて時々私をからかってみたり、飼い犬をかわいがったり、うれしいことに楽器を続けることが出来ています。

音大生になった息子の舞台に立つ姿を見ることが出来る、時々は笑った顔が見られる。いろいろあっただけに、生きていてくれさえすればそれだけでいいと思います。

 

息子が息子自身の一生を終えるときに、生きていて良かったと思えることが出来たなら私は何もいらないなあと思います。今日も息子は生きている。だから今日も一日私も元気で頑張れるのです。

著者:さぴ

性別:女性

年齢:50歳

肝っ玉母さんではないけれど、頑張る母親です。

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